M・Tさん
因という種が縁という条件に沿って花が咲き、実を結ぶ。今までも同じように縁を引き寄せては花を咲かせ、実を結んできたのですが、さて、幸せな実を幾つ実らせてきたことでしょうか? そんな問いかけに、言葉を詰まらせる私です。一般に良い悪いの判断をするなら、なんと不幸な実を手にしてきたことかと反省します。
聖なる言葉の中の「ごめんなさい」「許してください」の、連続でした。しかしこんな私にもやっと、普門寺さんとの縁をいただき、やり直しをさせていただけることになりました。縁に出会いて縁に気付かず、縁に気付いて縁を生かさず、袖振り合うも他生の縁。というように「ありがとう」「愛してます」を加えて「感謝します」と生きます。これもご住職様のお陰です。私にとってご住職様は観音様です。合掌。
Kさん(60代)
>いつ頃から来られているのですか?
かれこれ33年前になります。ちょうどご住職が、比叡山で修行をされていた頃です。早くお寺に来られないかと、とても楽しみにお待ちしていたことを、今でもはっきりと覚えています。
>ご住職の第一印象は覚えていますか?
もちろんです。とてもお側に近寄りがたく輝いておられました。そして赴任された後、娘のことでいろいろとご親切にご指導していただいたのです。そのお陰でとても楽になりました。現在もお導きをいただき人生の喜びと安らぎをいただいています。これから先も、どのようにご恩報謝させていただけばよいか感謝に絶えません。 合掌
M子、30才
30年間生きてきて、初めて仏教を知ることができました。お経など全く口にしたことのない私ですが、朝参りを重ねるうち、線香の匂いが身を清めてくれるように思え、ろうそくの火が明るく見えてきたのは不思議です。お説教を聞かないと、一日損をするような気がしてきた今日この頃です。
K子、50才
普門寺へ参るある雨の朝、私は思わず「はっ」とする光景に出合った。
一つの傘に寄りそうMさんご夫婦の仲むつまじい姿である。朝のお勤めを終えての帰りなのだ。同じ信仰を持って、断食行法、滝行法、そして毎朝のお勤めにと、夫婦同伴でできることの何と幸せなことか。
このさわやかな朝を与えられたことを私は深く感謝している。
T子、62才
朝参りをさせていただいている私ですが、仏様のお慈悲にふれていながら気がつかず過ごしている自分を恥じています。
まだまだこれからが修行と、歳のいくのも忘れてはりきっています。
N子、71才
毎朝、お寺参りをさせてもらっています。先生のよいお話があり、今では家中が大変明るくなりまして本当によかったと思っています。
K子、43才
私はお寺というところは、死んでからお世話になる所だと思っていましたが、それだけではなく、生あるうちに実のある人生を送らせていただくためにも、正しい道理を教えていただき、後々愛しい子供たちに残したいと思います。合掌。
N生、35才
34才にして人生の岐路に立たされ、暗中模索の状態の時、友人に普門寺を紹介され、すがる思いで門をくぐりました。先生や信者さんたちの温かい歓迎を受けて救われる思いがしました。
全て苦しみの因は「執着」から生まれるという先生のお言葉が胸に突き刺さり、「はっ」と目の前が明るくなり、次第に心が鎮まっていく思いがしました。
Y生、38才
仕事する意欲なく、心のむなしさを感じていた昨年の十二月、近所のNさんに連れられて普門寺の門をくぐりました。
先生は「過去世によって現在が決まり、現在の生き方によって未来世が続く」と因果の道のりや、ご先祖様の供養の話を交えながら説いて下さいました。また自我が強くて気が短く欠点の多い私でも、深く仏様におすがりして、悪因縁を消滅するよう努力すれば、きっと救って下さると言われました。
信仰の世界とは、いよいよ広く、深く神秘的なものだと感じるようになっていくこの頃です。
N生、36才
「先生は大好きだけど、気短かで怒るところを直してくれたらよいのに・・・。私のお父さんは普門寺へ朝の勤行に百日以上行って少し気が長くなったようにおもいます。先生もお参りしてみては・・・。」
小学三年生の娘の日記にこんなことが書いてあった。百三十余日の勤行を行っている私、娘には少しの変化が見えるのであろうか?
K生、75才
千手観音様にご縁がありまして、十年余りとなりますが不思議な思い出があります。
九年前の寒い朝の勤行中、突然観音さまの両脇に大きな二本の梅の木が咲きほこり、座像の観音さまが立ち上がられ、笑顔でほほえみながら「独鈷(とっこ)」で一同を加持して下さいました。感激に胸がいっぱいになり、帰宅すると、また不思議、「仏壇の阿弥陀さまが大きな涙をポロポロとこぼしとったわ、不思議やー、わしの心が悪性だから阿弥陀さんが見せてくれたんやろなー。」と主人が言うではありませんか。
観音さまはいつも見守って下さっているのだと思うともったいない気持ちでいっぱいです。合掌。
M生、61才
信仰のみでなく修業の場としても、多くの人々から親しまれている当山に、私も知人の勧めで座禅の道を志してその山門をくぐって一余年、今は当初の苦痛もうすれ、時の経過も忘れただ「礼」にはじまり、「静」から「無」へ、そして「礼」に結ぶ、-充実感。座禅をやって本当に良かったとも思う。
M生、56才
縁あって奉仕活動に参加していますが、断食等の「行」をさせていたき、次第に朝の勤行にも出席するようになりました。
本来修行はもっと厳しく、苦しい中で忍耐を養うことだと聞いております。私も早くその境地に達したいと念願しております。
U女、29才
私が普門寺にて百日が過ぎようとしています。先生の指導のもとで、心願成就を目指し頑張っております。周りの人たちの温かい激励に支えられ、感謝の心で日々精進しています。このご縁を大切に必ず満行したいと念じております。
T生、65才
迷路をたどり着きたる普門の庭
朝もやに清き流れの千種川
満潮の川面に泳ぐ魚心
われ滝に打たれて腰のいやされる
日々にうす紙をはぐ如く
わが心清められたり
N子、9才
わたしは普門寺へいったので心が少し明るくなってきました。そしてお友達ができるようになりました。そんなようになったのも、普門寺の先生やお友達のおかげです。
先生とお話をしたり、歌を歌ったりしました。そしてお友達とお地蔵さんの所に行って「般若心経」というお経をあげます。「般若心経」は毎日三回あげるんです。そして夜になったら先生にお手紙を書きます。 そんなことをしているので明るくなってきたと思います。
S子、40才
いつも耳もとに水子の声が聞こえてきます。地蔵様の前に座り、お念仏を唱えるひとときが私の心を救い支えてくれます。
仏様の御慈悲をいただき、許されている私ですが、これからの人生、二度とこのようなことのないように精進していきたいと思います。南無阿弥陀仏。