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「おせど」のこと

兵庫県赤穂市に歴史研究会の「尾崎を語る会」はあります。
尾崎を語る会では、2009年5月27日、完成まもない「おせど会館」ではじめての月例会を開催しました。

こちらでは、通称「おせど」とよばれている、「大石内蔵助の仮寓地跡」について紹介いたします。
当地には、この由来を説明する看板があります。その内容を編集しました。
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伝・大石蔵之助良雄の仮寓地跡(赤穂市指定史跡 指定番号29)

元禄14年(1701)の刃傷事件の後、城明け渡しの残務整理をする5月7日から6月25日の間、大石内蔵助とその家族が仮住まいしたところ。

「おせど」という俗称で親しまれている。

当時、大石内蔵助は、残務処理のため赤穂市加里屋の遠林寺に朝8時に出勤、夕方4時に退庁していたことが知られている。
徒歩通勤のため運動になってよいということも書き記されている。

現在は、大石内蔵助が祀ったとされる稲荷社、赤穂城にあった牛石、馬石などがある。
平成21年(2009)には江戸時代の間取りに倣い「おせど会館」が建設された。

日本史上著名な元禄赤穂事件、また一連の忠臣蔵関連の主役である大石内蔵助良雄と密接な関係がある土地であり、史跡として非常に価値も高い。

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