櫨(はぜ)
右側:昭和31年10月建立 司波幸作書
正面:大石良雄御手植の櫨
左側:説明
2009年2月14日
赤穂八幡宮近くにあります。
伝・大石蔵之助良雄の仮寓地跡(赤穂市指定史跡 指定番号29)
元禄14年(1701)の刃傷事件の後、城明け渡しの残務整理をする5月7日から6月25日の間、大石内蔵助とその家族が仮住まいしたところ。
「おせど」という俗称で親しまれている。当時、大石内蔵助は、残務処理のため赤穂市加里屋の遠林寺に朝8時に出勤、夕方4時に退庁していたことが知られている。
徒歩通勤のため運動になってよいということも書き記されている。
現在は、大石内蔵助が祀ったとされる稲荷社、赤穂城にあった牛石、馬石などがある。
2009年2月11日
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