京都。
日本文化のメッカ、脈々と流れ続け、日本の美が生き続けていると自他共に認める地。
京都抜きにして日本は語れず、しかし、いつまでもつかみ所なくすり抜ける京都。 知っている人だけが知り続ける京都。
今回の目的は、その京都にある「大石内蔵助の含翠軒」です。
京都在住時、泉涌寺を訪ねたことがあります。 しかし、そのうっそうとした山の雰囲気に、心細くなり、引き返すこと三度。
道がなくなっているわけでもないのに、何かに閉ざされたような、もうこれ以上は、行ってはいけないような、そんな風(ふう)を身に受けて、その風(かぜ)に任せて、来た道をいそいそと帰ってしまう。 まるで此岸と彼岸ほどの隔たりがあるかのように。
今思えば、許される魂だけがいざなわれるといったことのようにも思え、多分にその時の私たちには、いまだ縁が繋がっていなかったのではないかと思います。
今回は、どうやら違っていたようで、他用で京都に来たにもかかわらず、ゆっくりと心ゆくまで泉涌寺を訪ねることができました。
参拝記念
うっそうとした木々の奥に
仏殿
空気が初々しかった。
2008年12月17日
別名「御寺(みてら)」 - 天皇家の菩提寺。
山を登り、たどり着くまでが長く、山道はそのまま「時の道」を意味し、過去への入り口のような枯れた山門に到る。
眼下、左右、古木うっそうとおい茂り、ある人は海底と見立てた。
いずれにせよ、全容を隠し、寒気がするほどのできすぎた景色の中へ、はく息のせいで口元だけをしめらせながら歩みを進める。
すると、思ったよりどっしりとした本堂が安心をつれて近づき、体はなぜか温かくなる。日をさえぎる葉がないからだ。
本堂を参拝。
特有の凛とした澄んだ空気を吸う。
もっと奥へ行けば、言いようもなく懐かしいと思えてしまう僧侶が、いつもの仕事をしていて、心が和む。
2009年1月3日
進み行くと、皇室の方が泉涌寺を訪れた様子が展示されて、人には身分があることを思い起こされる。
後日、調べ、「舎利」という泉涌寺が舞台となる能を知った。
多くの人が演目の舞台である泉涌寺そのものの中で、能を観る会があったようで、全く知らないままに死んでしまうことの多さに改めて驚く。
白州正子の随想でしか私は能を知らない。 あるいは風姿花伝をずっと手元においていたこともある。 しかし肌で感じる機会をまだ持ててはいない。
そういえば、嵯峨野・二尊院を訪れたことがある。
途中、釈迦堂に人がたかっていたのでなんだろうとのぞくと、能だった。 いつでもやっているようだったので、気にも留めずに通り過ぎたことがある。 これなども、今にしてみれば心に残る出来事である。
2009年5月5日
私の知る限り、京都の他の庭園と、この泉涌寺の庭園は、どことなく違いを感じざるを得なかった。詳しくもなく、つぶさに見てまわったわけでもなく。
それは、建物の高さから感じるものだろうか、庭の奥行きから感じるものだろうか・・・。
何か、そこで体験できる「視線」そのものが、普段の目線ではないような、龍安寺の石庭のような人間の尺度とは違うような・・・。
このような感想の探索は、行けば行くほど際限も無く続き、いったん閉じてしまえば無に帰するというような、心の展開遊びかもしれない。
ただもう一つ書き加えておくとすると、これも全く理由は分からない。
本稿を書くにあたり、泉涌寺の庭園での私の記憶のすぐそばには、本阿弥光悦の本阿弥家菩提寺「本法寺」の庭園の記憶が納められていたことに気づかされた。
当日、曇りから日が照りさす流れを体験でき、とてもうれしく思えた。 清新な空気がそこにはあった。
御座所庭園
空気が澄んでいることが分かる
2009年7月6日
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